2009年3月15日 (日)

精神と物質

家内を亡くしてもう一年経過してしまった。普通の夫婦の年齢差は性差と暦差で十年近く離れていてオヤジの方が先に逝く。こういう場合は女は強く、一週間もすればケロリとなり、オヤジの残した財産で悠々と余生を楽しんでいる。

ところがボクの場合この逆だ。此はかなりきつい。一年経ってもすっきりせず、メソメソと、ことある度に死んだ女房のことに結びつけ、因果関係に頭をひねる。哀れと言うも情けない。

ところで最近、立花隆と分子生物学のある研究でノーベル賞を受賞した利根川進氏との対談形式で書かれた「精神と物質」という本を読んだ。

なかなか理解が出来ないところもあるけれど、注釈が頻繁に書かれているので理解できないこともない。

この本のなんと言っても圧巻は、最後の部分である。「自我はDNAの自己表現」と言う項目に書かれた部分である。その一部を下記にを紹介する。興味のある方は、文藝春秋社の同タイトルの書籍を購入されることを希望する。

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自我はDNAの自己表現

---遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。

「神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。生物というのは、もともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。無生物からできたも
のであれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね」

---そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて物質レベルで説明がつけられるということになりますか。

「そうだと思いますね。もちろんいまはできないけど、いずれできるようになると思いますよ。脳の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト (相互作用) して、どういう現
象が起きるのかということが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく。現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、
たとえば、人間が考えるということとか、エモーシヨンなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。いまはわからないことが多いからそういう精神現象は神秘
な生命現象だと思われているけれど、わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。後略

つまり利根川博士の考えでは「人とは」と言う古代哲学者以来の難問をいとも簡単に解決してくれたというべきだろうか。

ボクには何となく胡散臭いものを感じるのだけれど、ノーベル賞受賞者のお話だから真摯な態度で拝聴するしかないのか。

2008年10月29日 (水)

医師は特別なのか

「A県がんセンターN医師の発言」という私の記事がNifty によって下記のごとく指摘されました。しかし、医師は地方公務員であり、公の仕事に携わっています。

患者側にとっては、医師が与えた患者側への名誉毀損とも採れる発言を診察の現場で反論することは事実上不可能です。また診察時以外の時間を取って貰って直訴するなど出来ることではありません。そう言う物理的不可能を知っていて平然と患者に云いたいことを云う医師がいるのです。彼らも同じ人間ですから<b>気にくわない奴</b>という感情がわき上がるのでしょう。

それでもNiftyは「弊社では、特定の医師など、個人の氏名や勤務先をブログなどに掲載されることは、プライバシー侵害等に該当する可能性が高いと考えております。」

と延べ、患者側にたった立場で、擁護するようなことはありません。私の妻は恐怖に打ちのめさながらがら遂に亡くなりました。

医師と言えども普通の人間と何ら変わることはあり得ません。

本来なら、医師は医療ロボットであるべきです。彼らも人間ですから患者を見た途端、コンチキショウという感情が沸かないわけではありません。

2008年9月11日 (木)

A県がんセンターN医師の発言

「MRI撮影の結果が充分に出なかった責任は患者側にある。その旨が写真封筒張り紙に書いてある!」

この発言は先回、書いたとおり、2007年1月30、がんセンター産婦人科部長のN医師が患者に言った言葉である。

相手が素人であることを承知していたとしても、お粗末極まりない。これがドクターの言う言葉か。まるで子供の論理ではないか。
検査技師が素人だったのか?患者が動いて読影不能な写真を送付したのは何故か。もし、これが事実なら、検査技師は、検査の際、一体何をしたのか。これは病院側の責任ではないのか。それを何と、産婦人科部長、N医師は患者側にあると明言した。MRIを受ける患者は、何を、どうしたらしたらいいのか。

2004年、日経新聞社は全国の主要病院を対象にアンケートを実施、その結果を評価したところ{AAA}に公立病院を中心に十施設を選んだ。愛知県がんセンターは総合得点363で実力病院での最高位であった。

2008年8月28日 (木)

プロフェンス

患者が胃ガンの再発という認識を充分持っていて、そのための再検査結果に対し、不安と戦きにあることを分充分承知していかながら手術事前説明会のに席で、愛知県がんセンターの産婦人科のNM医師(2007年2月現在)は、患者を目の前に、平然と

「きわめて厳しい状況にあります」と発言した。

常識では考えられない医師の言葉であった。そばに付き添っていた、ボクは唖然として彼の発言を制した。

徳洲会新聞という徳集会総合病院の発行する週刊誌がある。その9月1日号に次のような一文が掲載されていた。

「医師はプロフェス(公言)することで人の運命を左右します。それ故にプロフェションズと呼ばれます。医師の立ち振る舞い、その言葉がいかに大きな影響を及ぼすか知るべきです。……(後略)

MN医師はこの程度の常識を備えていたことに疑いを持つものはいない。だとすれば、何かの意図があったことは想像に難くない。

彼の当時の直属上司はNという婦人科部長(2007年2月現在)であった。

2008年8月22日 (金)

A県がんセンターN医師への抗議文

この文は7月9日に投稿した「此でも医師か!妻の癌死(5/10)」を参考にして下さい。

下記は実際に抗議のため出した文章そのままのものです。

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抗議文

N先生
                                投稿者名

私は昨年12月25日、旭労災痛院の紹介状を持参し、先生の診察を受けた患者、○○麗子の付添人として面談した配偶者です。
以降、ご指示に従い、1月24日、消化器外科M先生にご挨拶し、翌、25日MRI検査を受けました。検査結果を聞きに参りましたが、被験者が動いたなどの理由で診断が出采ないと、あたかも患者側に非があるがごとき発言があり、まさに法律に違反するのではないかと推量される程の侮辱とも言える数々の激しい言語を浴びました。

そして再度、MRI検査を受けるようにとの指示でしたが、待ち日時が余り長いので、私は、患者の容態が更に悪化するのではないかと申し出ました所、造影剤を用いたCT検査が指示されました。
その結果、この卵巣腫蕩は癌ではなく、卵胞嚢胞?の良性ものであるが水腎症も併発して
いるとの説明を受けました。後、そのメモを頂き、旭蛍災病院にも報告しておきました。

後日、2月15日入院の指示があり、入院後2月22日、該腫瘍の摘出手術を受けるべく【腹式単純性子宮摘出手術を受けられる方へ】というスケジュール表を頂きました。所が、
手術説明会の2月20臼、突然、手術担当医、MN先生から、この手術は、卵巣摘出手術ではなく、あくまで、検査手術である旨の説明がありました。

その理由を求める中で、MN先生は、冒頭、患者側を驚かすような発言をされ、私は、「その言葉は患者に残酷ではないかと」制止しました。納得でさないままでいる所へ、MN先生は、消化器外科部長のM先生の来室を求められ、M先生は、腹膜に播種している胃ガンが、尿管に転移しているのではないかとの参考意見を述べられました。

患者側にとっては、まさに寝耳に水の話しであり、これまでの産婦人科の診察説明、検査
方法、更に、N、MN両先生の、患者側に対する何ら労りのない暴言など、断じて容認できるものではありません。
これを持って患者側はA県病院事庁管理課に訴えるか【Bちゃんねる】の適当なカテゴ
リーを選んで書き込む程度では、心が安まるものではなく、病院側の患者を救うという本質的な精神までにも及ぶ重大問題と認識しました。

明確な診察経過説明、診断方法等に全く落ち度がなかったのかどうかを明確にして頂きたいと思います。尚、今後の予後徐命など)について、私と娘を遭当な時間に呼んで頂き、説明を求めます。

先に侮辱と言ったN先生の発言の件につきましては、知り合いの弁護士に相談し、告訴できるものかかどうか椙談するものと致します。

(参考  N医師 発言

MRI撮影の結果が充分に出なかった責任は患者側にある。その旨が写真封筒張り紙に書いてある。

「耳の遠い患者ですから、私が通訳する」と言いました際、補聴器を買ったらどうか、など、など近くにいる看護師はもちろんのこと、待合室に患者にも聞こえるほどの絶叫に近い数々の怒声を浴びせられた。つまり、公然人を侮辱した。

平成19年2月22目

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(註)

患者は補聴器かを付けていたのですが、N医師の発言(暴言)が余りにも余りにも激しいので動転し、聞き取れなかったのです。

尚、この件につき、実際に弁護士と相談したのですが、その当時の録音などの明確な証拠がないと困難、との理由で告訴を諦めました。

これらの背景には、愛知県がんセンター消化器外科 M医師による胃ガン摘出手術の際、肺炎を併発し、(1/1000の確率)生死をさまよい、万が一の場合は、カルテの提出を求めると言う、厳しい抗議をしたという過去の事実があります。

2008年8月 7日 (木)

無意識Ⅱ(妻の癌死10/10)

  もう、女にはもてない、それどころか、既に女房とやる能力が枯渇しているという心理的抑圧は、女を拒絶し、その関わりを不潔とした嫌悪感に代償され、潜在意識となって心に広がるのであります。つまり、女とのことに関しては無意識の世界となるのです。私の無意識が死を認めないと同様、彼の無意識は、女との交渉を認めない。私が死に嫌悪感を持つと同様、彼は、女とのことに嫌悪感を持つのであります。

 彼は、ある同人誌に所属してもいるのですが、正直に言って、書くものはお世辞にも巧いとは言えません。
 しかし、他人の書いた文章を評するとなると、実に、傲慢無礼ともいえるほど辛辣であります。これなども、自分の劣等感からくる、無意識による投射という自己防衛規制が働いている。彼の抑圧された意識下の欲求、感情が歪曲されて現れたものと言えます。
 意識と無意識は「正反対の世界」というなら、我が旧友は,自ら気づかぬまま,心の奥深いところで、女のことばかり考えていたり、人の書いた文章は、自分にはとても書けないなあと憧れるのであります。

 彼が心理学者に麻酔かなんかかけられて検査されれば、直ぐ、ばれるのであります。
 これくらいの話なら、特別、フロイトのお世話になる必要もなく、私、本屋で心理学入門とかいう本など買って読みましたので分かるのでありますが、私の無意識が、死を認めないのは厄介なことであります。

 ことに、死が見えなくなったこの社会ではより厄介なのであります。
 戦争時代、死は日常茶飯亊でした。戦争へと出かけて行った人はもちろん、内地に空襲で焼夷弾を落とされたり機銃掃射を受けた女子供たちもそうであります。
 このとき、いわゆる「生命の飢餓状態」が続いておりまして、自分の生存を続ける見通しが断切られたときに起こる、迫り来る死への抵抗、猛り狂う人間の生への執着、激しい生命への欲求がありました。ところが、現在、その反動で、平和惚け、というのが俄かに跋こし、急速に進行しておるのであります。

 テレビはバカタレントを品数多く駆り出しまして騒ぎ捲っては笑わせてくれるのであります。ときには若い女性が脚線をちらつかせて、色気までサービスする。それでは飽きたらず、もっと過激な場面を求めるなら、アダルトビデオというものがありまして、出来不出来は別としても、これがなかなかいけるわけであります。

 こういうのがありますので、年寄りが、わざわざ金まで出してヘルスなどに行かなくても、結構、憂さを晴らしてくれるのであります。これらに飽きますと、丁度そこで、テレビが美味い物旅行とか、料理の鉄人などという番組を放送して食欲をそそるのです。つまり、性欲、食欲、動物の基本的行動を幻影ではありますが再認識させるのであります。これが毎晩のように続きますから、頭の方もそのように慣れさせられまして、人生、ま、こんなもんだと気軽になる。
 平たく言えば、人生、食い気と色気であります。
 こういうわけでありますから、死は、益々見えにくくなってしまった。
 宗教や哲学をもたないのも拍車をかけます。おのれの余命を数えれば、後、十指に満ちません。

 彼の徒然草に、
「死期はついでを待たず。死は前より死も来らず。かねて後に迫れり」と書いてあります。つまり、死は、いきなり背後から闇討ちのように襲うのであります。
 大分前の話ですが、司馬遼太郎が、就寝前の歯磨きをしていて、突然、倒れたのもこれであります。また、死は、「推理小説のごとく、本人にとって、最も意外な形でやってくる」などと言う作家もいる。私は戸惑い、肩をつぼめ、鼻水をすすり、ただ、頭を下げるしかありません。

 先日、ミリオンセラーという宣伝に乗せられまして、〈ソフィーの世界(ヨースタイン・ゴルデル著・NHK出版〉という書物を買ってきました。
 いきなり、「あなたはだれ?」と書かれているのを読みまして、今更のように目を剥いたのでありますが、私自身の存在理由が分かれば、私が消滅することも納得できないものではありません。

 この本を四、五回繰り返して読めば、多少哲学に興味が沸くかも知れませんが、読んでおります最中、あろうことか、私の心の奥深いところで、もう何をやるにしても時間が足りないではないか、後、幾許もないのに。今更、哲学の本など読んで何になる。どうせ死ぬなら、病院に担ぎ込まれる寸前に、なんぞ、ころりと逝く、ええ薬はないものか、などという危ない考えが過るのであります。

 なぜこんなことを考えるかと言いますと、私は、臨床医をやっていた友人から、死の現場で、凄惨極まりない場面があることも聞いているからであります。
 そればかりでありません。現実、私どもが病気見舞いにまいりまして感じますのは、全快して退院できると分かっている人は、多少苦痛が見られても、見舞いを朗らかな感じで受け入れてくれますが、もう駄目だと言う人の場合、陰湿で、それほどの苦痛が見られないにも関わらず見舞いに差し入れた本とか、音楽テープなど積極的に受け入れる意欲は見られません。

 つまり、死の予感は全てのものを拒否し、ひたすら、孤独と寂寥感に耐えねばならないのです。
 昨今、更に死の意識が薄らいでいますのは、個人のプライバシーという問題がありますので、なるべく見えないところ、つまり、病院の一番奥深い部屋の中で,ごく内輪に処理され、また巧いこと、葬儀屋というのが完全密着しておりまして、死を美しくベールで覆い、死の無惨が実感されないからであります。
 あるいは、もう一つの考えとしまして、長寿を唯一、社会善とし、我々年寄りを惑わすのであります。
 残酷と安楽死の葛藤は、先に言いました、女に対する劣等意識が、女との関わりへの嫌悪感に代償されたように、永遠の衰退という妄執に代償されまして、私、死は考えられず、ただ、年金もらって、なんとなく、ほわあんと毎日を過ごしているわけであります。

 先に言いました旧友に贈呈した同人誌に、私の小説の主人公が、浮気の欲望が満たされようとする寸前、病気のため入院せねばならぬと知ったとき、無意識のうち、自分の妻を代償に、行為をするという場面があるのですが、我が親友は、誰にでもありうる心の葛藤のとき、人は、どのような行動をとるのか興味を示し、語ろうとしなかったのは残念でした。
 死にたくないが、死なねばならぬという心の葛藤で、末期ガンと告知された人の心理は、かのイギリスの精神科医、E・キュウプラー・ロス氏の著書「死ぬ瞬間」で明らかにされています。しかし、今もって死の時期がはっきりしないとき、体力は、やや衰えつつあるが、薄ぼんやり死の意識に怯えております私のような場合、今後どのように心理の推移するかは知りません。

 ところで、私?今、盛んにエロ小説など書き、同人誌に投稿しておるのでありますが。もしや?
 これ、無意識の仕業ではないか。死の葛藤から逃避して、白昼夢を見ているのではないか。
 何やらこの紙面で墓穴を掘った感じがするが?
 私、この際、何が何やら、こんがらかってしまって、訳が分からなくなってしまったのであります。
 しかし、今、いくら、考え、へ理屈をこね回したところで、ともかく、人間は生物であります。生殖を終えて死んでいく生物であることには間違いありません。ですが、孤独と倦怠の中で、生きる屍として老いたくないというのも実感であります。といって、私、今、どうすることもできないのであります。

 子供の頃、正月のやって来る日を、指折り数えながら待った楽しさは、いまや、逝く年を指折り数えながら待つ不安となってしまいました。
 もう少し若い頃、人生のことを考えていればよかったなどというの思いは既にありません。

  もはや、生の喜びより、生き残ったうしろめたさすら感ずるこの頃なのであります。
 しかし、死を不可避なものとして意識するということは、それが一年先であれ、三年先であれ、今という瞬間の生を濃密に意識せざるを得ない状況をつくりだすことにもなるはずであります。
 私は老残の身とはいえ一個の人格であり、自分に残されたはずの表現機能を何をもって出しうるか、同人誌で出しうるか、丁度この文の書き終わる所で、まず、その辺りに考えが及んだわけであります。

 (頓首)

2008年8月 6日 (水)

無意識(妻の癌死9/10)

 我々老人は、好んで旅行などし、旧所名跡巡りをします。その際、寺院仏閣には必ず立ち寄って敬虔な祈りを捧げます。この行為は、無意識の心理によって支配されたものと思われます。つまり、自分では意識することのない深層部分に隠された欲求がおのれの行動を支配しているのであります。

 死にたくない、いつまでもまめに暮らしたい、せめて九十六才ぐらいになるまでは何とか入院などしないでころりと逝きたいなどという願望がそれであります。
 この欲求は、もちろん、死から遠ざかろうとする心理であることは言うに及びませんが、精神分析学では、意識下の領域に於ける人間の行動(寺参りなど)の背後で、色々影響を与える混沌としたもの(深層心理)ということになるのだそうであります。
 ちなみに、この混沌としたもの、つまり無意識の世界というのは、催眠、自由連想、投影検査、麻酔などの薬物によってのみ表出が可能だとのことであります。(小学館・大辞泉参考)

 この深層心理は「反対の世界」と考えられる場合があるそうでして、意識していることと、無意識とは正反対になっている。つまり、死なねばならないという意識は、死などありえないという無意識になる。
 自分ではとらえ切れない自分自身の心、無意識の心理は、おのれの抑圧された願望(死ななきゃあならぬが、どうしても死にたくない)の隠れ家と言えなくもないのです。ところが、人間の日常生活の中で意識された部分は、精神活動全体のほんの一部分だそうで、その何倍かの無意識の世界があるという。だから、私、なまじっか、こんなこと喋っているとですね、
「君イ、それはね、フロイトの精神分析論の分野だよ」
 てなこと誰かに言われて、大いに赤面、困惑し、ただ項垂れるしかないのであります。

 今年の正月、おのれの年を数え、ぎょっとして目を剥く有り様でしたが、それでも死など、決して考えられないのであります。それどころか、昔の上司に逢ったとき、
「今年は何か、いいことありませんかねえ、あ,そう言えば、どこだったかの古刹の菩薩は、得も知れぬいい顔しておられて、心が温まるらしいと言われています。一度、拝がましてもらいたいと思っていますが、如何ですう?そこにある名園での茶席は風流の極致だそうですよ。どうです、行きませんか。早速調べておきますから」
 と、まあ、こういう調子であります。ところが、
 これなども昔から言われてきた、枯れた品の良い、誰にでも好感のもたれるような老人像に無理矢理自分を追い込もうとしているのではないか、私、再び思いを巡らせまして、これまた、無意識による規制では?と、つい、疑心暗鬼になるのであります。
 つまり、私が気の付かない心の深層は、
「実は耳寄りな話ですがね、今度、新町に出来たスナックのママさん、得も知れんチャーミングな顔しているんですよねえ、その上にですよ,サービスがまた,特別らしい、一度、行ってみたいと思っていますが、如何ですう?」が、本音ではないのか?

「おい、お前、いい年して,まだ女のことが忘れられんのか。嫌らしいことなんか書きゃあがってよ。あれは、いわば、エロ小説やないか」
 ある旧友に、私の書いた小説が掲載された同人誌を贈呈した結果の評であります。

2008年8月 4日 (月)

ボクの随筆より無意識(妻の癌死8/10)

数年前のことですが、八十三才になっておりました家内の母親の終嫣に臨んで、いよいよ医師から死を告げられましたとき、そこにおりました一同は、悲しみよりも、むしろ、ある種の安堵感を持ったようであります。                        Muisiki_2

悲しみの方は,この二ケ月間の入院生活の中で、いわばなし崩しに済んでいたのてしょう。
 心の奥底の,最も深い部分に、病人と老人はなるべく見えないところにいてもらって交わりを絶っていたい、後は見えないところで、こっそり死んでくれればこれほど都合のよいことはないと思うのであります。

 だが裏を返せば、彼らも老いと死の観念に絶えず怯えながら生きていることになるのでありまして、だからといって、死をまともに見つめようとするわけではありません。かく言う私もその一人であります。
 老衰への自覚は永続を諦めさせはしましても,喪失や無化(死)する,無という概念は持つことが出来ません。
 空を見上げてみても、果てしない地平線を眺めてみても、我々の感覚では思い当たりません。それ故一種の代行として永遠の衰退を妄執せざるを得ないのであります。

 私の無意識は決して死を認めません。つまり,死にたくないという願望が潜在化しているのです。

 そりゃあそうでしょうが。人間が生まれ落ちるとき、彼の脳の中に死の概念を持たせて生まれさせる程、神は矛盾する訳がないでしょう。そんなものは、塵ほどもなく、嫌、全くなく、ただ、食欲だけの脳みそ、つまり、ひたすら、生きるだけの本能を持たせただけに過ぎません。
 他人の死は客観ですが,自分の死は思考の対象になり得せん。私の死は、私の思惟の全てを破滅させてしまうのですから存在するはずはないではありませんか。

                                                 つづく

2008年7月23日 (水)

延命 化学療法(妻の癌死7/10)

残された道は抗ガン剤治療のみであった。現在では、抗ガン剤治療で癌が治ると言うことはない。あくまで延命を図るというものだ。平成19年2月23日ボクと家内、それに娘が同行し説明を聞いた上で同意書に署名捺印した。

担当医の室圭医師は最初に、はっきり、「此は癌を治すことは出来ないが延命を図るものです。薬が全く効かない人は全体の1/3、現状維持の人が1/3効いている人が1/3です。つまり2/3はの人たちは希望がもてます」

人間の無意識は自分の死を認めない。室圭医師の言葉も過酷なものであった。だが、妻は健気にも彼の言葉を素直に受け入れた。傍らで聞いていたボクは思わず心の中で慟哭した。

帰宅してからボクが抗ガン剤がどのように効くのか、効いた後はどうなるのかなどをを調べてみた。

調べた東大病院がん相談支援センターの記事は下記の通りであった。

「奏功率」という言葉の医学的定義は、一般の方がイメージされる意味とかなり違いがあることに注意が必要です。一般の方にとって「奏功する」といえば「癌が治る」という意味にとられがちですが、これは間違いです。

医学上の定義では、「奏功する」ということは「癌が治る」という意味ではなく、癌の大きさがある割合だけ縮小した状態で(たとえば癌の断面積が半分以下になった状態、あるいは長径が7割以下になった状態で)、それが4週間以上持続するという意味です。
たとえば抗癌剤治療を開始して1ヶ月で癌の断面積が半分になり2ヶ月後も同じ大きさを維持していれば、その後再増殖して3ヶ月後にもとの大きさに戻っていても「奏功した」と表現されます。

最近の抗癌剤治療は奏功する確率が上昇していることは間違いないのですが、実際に検査で癌が見えなくなるくらいに抗癌剤が効いて、なおかつ何年間も小さくなったまま癌が大きくなってこないということは稀なことです。

現実には抗癌剤が奏功した場合でも半年ないし1年で効果がなくなり癌が再増殖してくることが多く、抗癌剤治療だけで癌が完治することはないと考えられています。

ボクは、この議事を読んで正に絶望的となった。

2008年7月17日 (木)

腹膜播種(妻の癌死(6/10)

先ず、胃ガンの進行度というのを書いておく。(日本胃癌学会取り扱い規約より)
縦軸に癌の深さ(胃の表面の粘膜層に出来たものから固有筋層、漿膜を突き破って外に露出しているもの、更に進んで、腹腔内の他の臓器にに直接及んでいるもの)をT1~T4或いはM1,H1,P1,CY1などで 表し、横軸に、三層になっているリンパ節に転移している度合Canser をN0~N3など表し、縦横の癌の進み具合を顕微鏡でみて縦横交差した所をStage、つまり進行度として表す。ちなみにssはT3のことで胃の外に飛び出している癌であり、n1は一次リンパ節止まり。

家内の場合、手術時の病理組織検査結果を助手の原賢康医師に聞いたところ、T2,N1であった。つまり、縦軸では筋層、を通って漿膜下層でとどまっていたことになり、横軸のリンパ節は一番内側の一群まであった。
従って進行度はⅡである。しかし、愛知県がんセンターの山村義考執刀医は
「術中所見と合わせfinalの進達度はse、(Ⅲa) と診断した」
と、診療情報提供書において述べている。つまり、これは癌が胃の壁の外に露出しているものと言うことになる。

しかし、日本胃癌学会より出されているガイドラインや愛知県がんセンターの胃ガン手術・説明・同意書では、最終的なステージは手術時に提供する病理の検査で判明する進達度とリンパ節転移の有無などによって確定すると書かれている。

そうなると山村義孝医師の主観によっては進行度の違いが出てくると言うことになる。
更に不可解なのはseなら癌が胃の壁の外に出ているから当然腹腔内の洗浄液検査で陽性にならねばならないのに陰性であったし、更に愛知県がんセンターで開発したとされる保険対象外の高度先進医療(固形癌のDNA診断 PCR法)によっても陰性であった。

ここで、更に不可解なことがある。
敢えて「術中所見と合わせfinalの進達度はse、と診断した」と述べているなら、何故術後適当な時期から化学療法を行わなかったかという疑問が残る。

前節(5/10)で述べた、愛知県がんセンター婦人科 NM医師の、患者の目の前にして
「きわめて厳しい状況にあります」と説明したとき、ボクはPCR法で陰性であったものが、何故、今になって腹膜播腫ですか、と問いただしたとき、

「それでは、山村先生をここにお呼びしましょう」
と言った。

暫くすると彼が現れたので、ボクは開口一番、

「今ここで家内が胃ガンの再発が卵巣ではなく腹膜転移と言われました。PCR法で陰性であったものが何故なのですか」
と問い詰めると、彼は、そりゃあ目に見えない数個の癌が残っていたかもしれないのですよ」
と、いとも簡単に扱われた。

この回答が正しいかどうか、或いは又、何故、化学療法を講じなかったのか、また、あの標本を見せられたとき、組織の反対側 ( 癌が表に顔を出している側 ) をなぜ見せられなかったのかなど、素人のボクはそれ以上問い質す能力はない。

素人の悲しさをしみじみ味合わされた思いだが、医療は、単なる技術ばかりでなく患者側の心理も汲み取った人間性溢れるものではないのか?
全国評価では、この愛知県がんセンターは一位である。

ちなみに家内の術中肺炎併発 ( がんセンターの統計によれば肺炎、肺気腫、肺塞栓、併せて0.9% ) した直接の原因をストレートに教えてくれた原賢康医師はその直後、辞めてしまわれ、このセンターにはおられなかった。

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